『木村産業研究所 1932年』
前川國男の処女作。前川27歳のときの作品です。パリのコルビュジェのアトリエにいた同じ頃、フランス大使館付の武官として同じくパリに滞在していた木村隆三氏と親友になり、帰国後、地場産業振興のための建物を木村の故郷、弘前に建てることになり、依頼を受けたそうです。 前川の母方の親戚が弘前に縁が深かったこともそうですが、親友が弘前出身だったことも含めて、やはり弘前と前川には何か運命的なつながりがあったのかも・・・ですね。 その後、雨漏りなど、いろいろと問題点も多かった建築だそうですが、巨匠、前川と言えども、やはり若い頃の失敗はあったのか・・・と、ちょっとほっとするエピソードです。 2004年、国の登録有形文化財に指定され、DOCOMOMO100選にも選ばれています。 弘前に残る前川建築の中でも、唯一コルビュジェ風の近代建築・・・と言われているそうです。 当時は珍しかった水洗トイレ、来客にいちいち使い方を説明しなければならなかったことや、戦時中は、あえて目立たないように外壁を黒く塗っていたことなど、裏話もいろいろと聞くことができました。 前川は「軒裏の暗いイメージ」が好きじゃなかったとのことで、軒裏を明るい色で塗ったり、軒裏のデザインをこだわったものが多いとのことです。そういえば、この後訪れる、弘前市役所のエントランスの軒裏も青く塗装されていました。 この後、木村隆三氏の兄、木村新吾氏がPTA会長を勤めた「弘前中央高校講堂」の設計も請けることになります。建築の仕事にはやはり人脈が欠かせませんね。
by aiarchi
| 2007-07-16 00:23
| 旅
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