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あの日、私は独り暮しをしていた伊丹市の木造アパートの部屋で、震災に遭いました。追悼慰霊祭の行われた伊丹市昆陽池公園のすぐ近くでした。幸い、私の住んでいる建物には被害も無く、怪我も無く、しばらく電話とガスが止まった以外は、その後も普通に生活できました。ゼネコンに勤務していたこともあり、震災後まもなく被災地に入り、被害の状況を見てまわりました。被災地の様子を見ながら「戦争が起こったら、こんな風になってしまうのかなあ・・・」と、戦争で街が瓦礫の山になってしまった風景と重ねてしまったことを覚えています。
昨晩は夜中まで放送されていた震災関係の番組を見ていましたが、家族や家、大切なものをなくされた人々の心の傷は今も癒えていないのだなあ・・・と感じ、私の中では既に風化していた震災の記憶が、また呼び戻されるような気がしました。震災の記憶を風化させたくない・・・という被災者の気持ちは、当時私の中にもあったのかもしれません。その証拠に、震災の様子を写真で捉えた「朝日グラフ」等、記録として残るものを買って保存します。避難所生活をしたわけではないし、家族をなくしたわけでもない、でも、確かにその日、被災地にいたのだということを、改めて認識することができた夜でした。 「住宅」を設計する立場にあって、この震災の記憶をプラスにしていかなければならない・・と思っています。家族を亡くされた人々のアンケートの回答には「自分がもっと注意を払っていれば家族は死ななくて済んだと思う」と自分を責める人が4割近くもいるというらしい。不可抗力で亡くなったにも関わらず、今も自分を責め続けて悲しみから立ち直れない人がたくさんいることを思うと、胸が痛くなります。震災で亡くなった人の8割は、住宅の下敷になった人だそうです。不可抗力ではなく、地震で住宅が壊れなければ、多くの人が死なずに済んだことを考えると、建築に携わる私たちの責任は、本当に大きいものだと思います。 あれから10年、月日の流れを感じます。その間に、私にも守るべき家族、子供、家ができました。独身だったあの時よりももっと、被災者の気持ちに近くなれたような気がします。
by aiarchi
| 2005-01-17 10:01
| 建築
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